nearproの日記

特に意味はありません。主に読んだ本をただただ記録します。

谷崎潤一郎マゾヒズム小説集

谷崎潤一郎マゾヒズム小説集 (集英社文庫)

谷崎潤一郎マゾヒズム小説集 (集英社文庫)

谷崎潤一郎といえばマゾ。そんなマゾな短編を6篇収録。特に好きなのは『少年』と『日本におけるクリップン事件』

『少年』は官能小説かと思うほどドエロい。性への目覚めもまだであろう少年少女の無邪気な遊びなんでしょうが。鼻くそを練り込んだお菓子を食べさせたり、もはやスカトロ。いじめまくってた女性に一転して支配されるといのが、マゾヒズムの快楽のある種の極みなんですよね。本当のマゾヒストっていうのはややもするとサディストに見えると思います。

『日本におけるクリップン事件』。実際にあったクリッペン博士の殺人事件をヒントに谷崎が作った日本版クリップン事件。SMプレイ中、偶然細君は犬に喰われた。ところが、その犬は実は主人に調教され、事前に顔と首に噛み付くことを覚えた犬であった。という筋で、それが芸術的か否かは別としてまぁおもしろい。ただそれよりも、マゾヒストに対する谷崎の解説が非常に鋭く、谷崎はやはり真性のドMなんだと確証しました。

マゾヒストは女性に虐待されることを喜ぶけれども、その喜びはどこまでも肉体的、官能的なものであって、毫末も精神的の要素を含まない。人或はいわん、ではマゾヒストは単に心で軽蔑され、翻弄されただけでは快感を覚えないのか。手を以って打たれ、足を以って蹴られなければ嬉しくないのかと。それは勿論そうとは限らない。しかしながら、心で軽蔑されるといっても、実のところはそういう関係を仮りにこしらえ、あたかもそれを事実である如く空想して喜ぶのであって、いい換えれば一種の芝居、狂言に過ぎない。
つまりマゾヒストは、実際に女の奴隷になるのではなく、そう見えるのを喜ぶのである。(中略)彼等は彼等の妻や情婦を、女神の如く崇拝し、暴君の如く仰ぎ見ているようであって、その真相は彼等の特殊なる性慾に愉悦を与うる一つの人形、一つの器具としているのである。人形であり器具であるからして、飽きの来ることも当然であり、より良き人形、より良き器具に出遇った場合には、その方を使いたくなるでもあろう。

解題によればジル・ドゥルーズは「マゾヒストは専制的女性を養成せねばならない。説得し、契約に『署名』させなければならないのだ。マゾヒストは本質的に訓育者なのである」と言った。この教育と、その後に起こる逆転の芝居こそ、マゾヒストの快楽の源泉なんでしょう。

今年は谷崎潤一郎、没後50年の年で、来年は生誕130年の年。ということで、谷崎ブームが起こることを期待してます。(ちなみに、武者小路実篤は今年が生誕130年、来年が没後40年)

年明け早々に、1964年のノーベル文学賞で候補に、川端康成三島由紀夫西脇順三郎とともに入っていたこと、更に日本人の中で最も谷崎が評価され、最終選考の6人にまで絞られていたことがニュースになってましたし、谷崎ブーム、あると思います。

64年ノーベル文学賞、谷崎ら4人が候補 - 国際ニュース : nikkansports.com

劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス


『劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス』予告編 - YouTube

1期と同じく虚淵玄ということで期待して観ました。

時系列的には2期の後の話。※1期(2112年)→(1年半後)→2期→劇場版(2116年) 制作自体は、2期よりも早くスタートして、そこから2期のキャラや要素を汲みつつといった感じだったようです。

終演後、劇場中で「どういうこと?どういうこと?」というような声があがってました。ぼーっと観てたら終盤の展開にうまくついていけない可能性が大。そもそもシビュラシステムがそういう存在であるからそうなるのは仕方ないとしても、所謂、デウス・エクス・マキナ感がすごかったというのが正直な感想。2時間しかないからってのもあるんでしょうが。

あと、英語。確かに雰囲気的に英語+日本語字幕にしたい気持ちはわかるんですが、どうしても発音とかが気になって(日本の監視官の英語が下手なのはまだ良いとして…)、あれだけはちょっと残念というか、正直、全部日本語にしてくれたほうがありがたかったですね……。

レンタルとかで、もっかい観たいなと思います。

火花

文學界 2015年 2月号 (文学界)

文學界 2015年 2月号 (文学界)

ピースの又吉のデビュー中篇。さらっと読めた。関西弁には自信があるからかもしれない。 良くも悪くも、芸人ってこんなかんじなのかァと思いながら読んだ。

カルメン

カルメン (新潮文庫 (メ-1-1))

カルメン (新潮文庫 (メ-1-1))

愛したジプシー女のために地位を捨て、窃盗、詐欺、殺人といった悪事に次々に手を染めていき、最後にはその女をもその手で殺してしまうドン・ホセ。マノン・レスコーに強く影響を受けているのは言わずもがなで、スペイン版マノン・レスコーと言ってもあながち間違いではない。

マノン・レスコーでは、最後、マノンとグリューは愛で結ばれた中、死んでいくのに対し、カルメンはドン・ホセによって殺される。その手で殺したカルメンをドン・ホセが埋葬する場面は変な感動を覚える。

あの女の口から出るこうしたことの全部が、すべて嘘でした。あの女はたえず嘘をついていました。あの女が一生のあいだに、ただの一度でも本当のことを言ったことがあるかどうか私は知りません。そのくせ、あの女に何か言われると、私はそれを信じたものでした。

愛は束縛

愛は束縛 (新潮文庫)

愛は束縛 (新潮文庫)

『美貌で資産家の妻ローランスと結婚したヴァンサンはピアニストになる夢に挫折した売れない作曲家。人にジゴロと蔑まれる生活が続いていた。だが、作曲した映画音楽が当たり、富と名声を得たとき、真実の愛が姿を現したのだった。愛というのはこんなにもせつなく残酷で孤独なものなのだろうか……。濃密で甘美な香水と音楽の調べにのせて、愛に飢えた男女の姿を官能的に描く恋愛長編』(新潮文庫表紙裏より)

ブックオフで100円で売ってたので読んだ。決定的にタイプの違う男女の恋愛によって起こされる悲劇。

ぼくに何がわかっている? 人生の何を知っている? 何も知りはしない。わかっていたはずのことがますます減ってゆく。わからないことばかりがますます増えてゆく。人生の何もかもがぼやけて、厭わしく、ばかばかしい。何もかもがだるい。ぼくの願いは今やただ一つだけだった。眠ること。アスピリンを飲んで眠ること……なのに人は、よってたかって人生を変えろとぼくに迫る