nearproの日記

特に意味はありません。主に読んだ本をただただ記録します。

ブラームスはお好き

ブラームスはお好き (新潮文庫)

ブラームスはお好き (新潮文庫)

サガンが「悲しみをこんにちは」を発表したのが18歳のとき。そして「ブラームスはお好き」を書いたのが23歳。23歳のサガンが選んだのは39歳バツイチ女性の壮年の恋。

バツイチで仕事に生きるポール(ディスプレイデザイナー・39歳女性)と、彼女に恋する美しき青年(それはもう、とんでもないイケメン)シモン(弁護士見習い・24歳)、そしてポールの愛人、浮気症のロジェ。『きょうは会社休みます』も顔負けの大人の女性と青年との恋物語

愛人の浮気に愛想が尽きて、若い男に言い寄られて、愛されている悦びを全身で感じながら、それでも何年も同じ時間を過ごした愛人のことを忘れられなく、最後、ポールはシモンにこう言い残し、去る。

「シモン、もう、私、オバーサンなの、オバーサンなの」

なぜポールはシモンの元を去り、ロジェの元へ戻ったのか。それは年齢のせいなのか、過ごした年月の長さのせいなのか、まだ僕には、あまりピンと来るものがなかった。

かれは時をかせいでいるつもりだった。だが、それは、自己の人生をすこじずつ失っていくことなのであろうか。いま自分が、どこまで来ているのか、もうかれにはわからなかった。

狭き門(光文社古典新訳文庫)

狭き門 (光文社古典新訳文庫)

狭き門 (光文社古典新訳文庫)

好きな小説作品を5つ挙げよと言われたら、僕は必ず『狭き門』を挙げるだろうというくらい、この作品は大好きです。そんな狭き門が、この度、光文社古典新訳文庫で発刊されるということを知り、生まれて初めて文庫本を発刊日に買いました。(と思ったら、とらドラ!最終巻を神保町でフラゲしたことを思い出しました。ただフラゲなので発刊日に買ったのは初めてというのは誤りではない)

既に新潮文庫版の記録がありますが、改めて感想など。

十分に知っている話だからか、サラッと読めました。もちろん新潮文庫の狭き門の訳は100年近く前の山内義雄のものであるので、それに比べるとやはり読みやすくなっているというのもあるように思います。また、丁寧な訳注が大変ありがたい。

こういった新訳はもちろん作品の面白さを再確認する楽しさとしての喜びもあるけれど、それに伴い新しい訳注、訳者のことば、解説解題を読めることも大きい。訳者の中条省平さんは、新潮文庫版に寄せた石川淳の跋の中で、アリサをカトリック神秘主義者のアリサではなくニヒリストとしてのアリサを見出していることに触れ、こう言っています。

『狭き門』とは、残酷な拷問者のごとき神を小説的な仕掛けとして用いて、ひたすら愛の崇高さを追求すれば死に至るほかないことを示した至純のラヴ・ロマンスとして読むべきだということになります。

確かに、新訳でこう読み返してみると、真にキリスト教的なのはアリサではなくジェロームのような気がしてきていました。そもそも、耐えることに喜びを見出しているのはアリサではなくジェロームであるのは間違いないですし、読者はずっとジェロームの目からみたアリサを語られ続けてるわけですし。

最後のアリサが自身と母親を重ねるシーンも、この新訳版のほうが印象に残った気がします。状況が整理しやすい新訳で読むと、いろんな伏線を回収しやすいのか、あるいは訳者の妙技がそこに隠れていたのかもしれませんね…!

人が愛として描きだすものと、わたしのそれとはひどく異なっている。わたしが望むのは、愛などという言葉はいっさい口にせず、愛していると知らずにあの人を愛すること。とりわけ、あの人に知られずに、あの人を愛したい。

愛の為には死ぬ外ない、という思想は少々過激でいかにも物語的ではありますが、幼少期に過ちを目撃することによって、性に対する嫌悪を感じ、潔白であることを求め、プラトニックラブに心奪われることになる、というのは物語の中だけでなく実社会のどこにでも転がっている話だとは思いますし、恋愛に潔白を持ちだして、その愛を高めようという発想は、古今東西のあらゆる童貞が試みるものだと思います。

ジェロームがほんのすこしだけ動いていれば、アリサがセックスを知ってしまえば、この物語は悲劇に向かわなかったのかもしれませんね。

こういった新訳発刊を機会にジッドについて興味をもつ人が増えれば良いと思います。昨年より筑摩書房からアンドレ・ジッド集成が発刊されていますし…絶版した名作も文庫本で蘇ってくれればとても嬉しいのですが、それはなかなか大きすぎる希望かもしれません。

別々のGoutte\ClientにCookie情報を引き継いで渡したい

テストやスクレイピングで便利なGoutteですが、普通に使ってる場合だとCookieとかも宜しく処理してくれるので特に何も考えずにゴリゴリ実装できます。

例えば、ログインが必要なページにアクセスする場合、下のようなコードでログイン後にリクエストします。そしたら、当然、ログイン画面にリダイレクトされることもなくページを取得できます。

<?php
$client = new Goutte\Client();
$crawler = $client->request('get', 'http://www.facebook.com'); //ログインページ
$form = $crawler->filter('#login_form')->form();
$form['email'] = 'hogehoge@gmail.com';
$form['pass'] = '****************';
$client->submit($form); //ログイン

//ログインが必要な適当なページにアクセス
$crawler = $client->request('get', 'https://www.facebook.com/events/upcoming');

echo $crawler->filter('title')->text(); // イベント

しかし、こういったログインと取得を分けて実装したいこともあると思います。(並列で処理したかったり、画面遷移を含むWebアプリ上で使いたかったり) そんなとき、毎度毎度、『ログインして取得』というコードを書くのもアレだし、セキュアなサービスだとログインする度に排他処理が走り、並列に処理しようと思ったら『別のPCからログイン…』うんぬん言われる可能性もあるし。。。ということで、そういうときはCookie情報を渡せば良いんじゃないかと思います。

イメージ的にはブラウザで複数のタブを開いてる感じですね。

ということでコード。

下のように書くと、もちろんログインページにリダイレクトされてしまう。

<?php
$client = new Goutte\Client();
$crawler = $client->request('get', 'http://www.facebook.com');
$form = $crawler->filter('#login_form')->form();
$form['email'] = 'hogehoge@gmail.com';
$form['pass'] = '****************';
$client->submit($form);

$client = new Goutte\Client();  //新しいクライアント
//ログインが必要な適当なページにアクセス
$crawler = $client->request('get', 'https://www.facebook.com/events/upcoming');

echo $crawler->filter('title')->text(); //Facebookにログイン | Facebook

下のようにクッキーを保存して渡してあげれば、ログイン処理を再度しなくともリダイレクトされない。

<?php
$client = new Goutte\Client();
$crawler = $client->request('get', 'http://www.facebook.com');
$form = $crawler->filter('#login_form')->form();
$form['email'] = 'hogehoge@gmail.com';
$form['pass'] = '****************';
$client->submit($form);
//クッキーを保存しておく
$cookies = $client->getCookieJar()->all();

$client = new Goutte\Client();  //新しいクライアント
//保存してたクッキーをセットする
$client->getCookieJar()->updateFromSetCookie($cookies);
//ログインが必要な適当なページにアクセス
$crawler = $client->request('get', 'https://www.facebook.com/events/upcoming');

echo $crawler->filter('title')->text(); // イベント

ちなみにFacebookなど今風のWebは大抵jsを駆使して非同期に読み込んだりしているので、直接jsonを取りに行くとかしないとほとんどスクレイピングも何もできない。そういうサービスは大抵APIとか用意してるので別に困ることも少ない。

ただ、稀にどうしてもスクレイピングする必要があるケースもある。そうした時は、phantomJSを使ったほうが楽。

phantomJSでCookieを引き継ぎ引き継ぎ色んな所にアクセスする方法は、また気が向いたらまとめます。

谷崎潤一郎犯罪小説集

谷崎潤一郎犯罪小説集 (集英社文庫 た 28-2)

谷崎潤一郎犯罪小説集 (集英社文庫 た 28-2)

集英社文庫の谷崎潤一郎○○小説集の第一弾、犯罪小説集。ポーの影響を多分に受けたその作品は江戸川乱歩など後の日本の推理小説に大きな影響を与えたそう。

どの話も単純に面白い。芥川龍之介の「筋の面白さが作品そのものの芸術的価値を強めるということはない」に対して谷崎が「筋の面白さを除外するのは、小説という形式がもつ特権を捨ててしまふことである」と反論したことも頷けます。もちろん、マゾヒズムにどっぷり浸かった谷崎ワールドも全開。官能的です。

夢ならば覚めよと祈るのが人情ですけれど、僕の場合は反対でした。僕はそれほど夢と云うものに価値をおき、信頼を繫いでいる人間なんです。極端に云えば現実よりも夢を土台にして生活している男なんです。

谷崎潤一郎フェティシズム小説集

谷崎潤一郎フェティシズム小説集 (集英社文庫)

谷崎潤一郎フェティシズム小説集 (集英社文庫)

谷崎潤一郎の最初期の『刺青』をはじめとする変態短編を6篇収録。 谷崎文学といえばヌメヌメじっとりな文章で描かれる女性の容姿、そして無駄に明らかすぎる服装の描画が一つの醍醐味だと思ってるんですが、そんな谷崎っぽさが満載で楽しいです。『痴人の愛』なんかでも発揮されている、谷崎の衣服・服飾に対する知識・描画は、それを身にまとう女性の肌への異常な執着の現れなんでしょうか。

しかし、脚や肌だけではなく、『悪魔』では女性の鼻水のついたハンカチをいつまでもクンカクンカして快感を得る変態が描かれ、『富美子の足』では女性に顔面を踏まれ快楽の中昇天する老人が描かれる。(脚フェチとマゾヒズムは非常に相性の良い合わせ技ですね)

『憎念』では鼻の形と動きだけでひとりの人間を憎むことができるということと、その感情の発露が性慾と同様であることを明らかにし、フェティシズムとは何かを明らかにしています。

お富美さんは生まれてから十七になるまで、この踵で畳と布団より外には堅い物を蹈んだ事がないのでしょう。僕は一人の男子として生きているよりも、こんな美しい踵となって、お富美さんの足の裏に附くことが出来れば、その方がどんなに幸福だかしれないとさえ思いました。それでなければ、お富美さんの踵に蹈まれる畳になりたいとも思いました。僕の生命とお富美さんの踵と、この世の中でどっちが貴いかといえば、僕は言下に後者の方が貴いと答えます。お富美さんの踵のためなら、僕は喜んで死んでみせます。―『富美子の足』

「○○フェチなんですよー」とか言う人は、その言葉は、私は性的倒錯者であり、性行為を含まないその部分・あるいは無生物に対して異常な性慾と快感、あるいは適当でない場合においては憎悪を感じる人間である、ということを宣言していることに注意されたい。