nearproの日記

特に意味はありません。主に読んだ本をただただ記録します。

春琴抄

春琴抄 (新潮文庫)

春琴抄 (新潮文庫)

わがままでツンデレな金持ち令嬢春琴と春琴を思い慕う丁稚奉公に来ている佐助のお話。

盲目の春琴の身の回りの世話を佐助は自己を犠牲にしてまでしてまわる。春琴のわがままな態度すら、佐助にとっては喜びであり、春琴も佐助のことを家来と思いながらも、どこか惹かれているらしい。

しかしあくまで主君の関係を取り続ける春琴と佐助。佐助にとって春琴は神様のような存在で、完璧な存在である。春琴は佐助そっくりの子どもを出産するが頑なに関係を否定し、子どもはすぐに里子に出されるし、独立し同棲してもあくまでも主従の関係でしかない二人。

ある日、その完璧な彼女が、訳あって顔に大火傷を負ってしまう。その時、佐助がとった行動は己の目を針で潰すというものだった。

大谷崎が描く愛とマゾヒズム。官能的ないわゆる谷崎らしい小説。

後半の佐助が己の目を潰すシーンが非常に印象的な作品だが、彼をただの変態ドM野郎と思ったら、意外と、彼の行動は真理のように思える。(極端すぎるけど)

男にとって、好きな女の子には完璧であってほしいという願望がどこかにある。

例えば、好きな女の子が授業中に手を挙げる。黒板に彼女が答えを書いているのを見ている僕は、彼女が間違いを犯していることに気づく。その時僕は、非常に恥ずかしい気持ちになる。頼むから気づいてくれ、と思うし、もう見たくない、と思う。

別に学校の授業に限ったことではない。密かに恋焦がれる彼女と皆でカラオケに行ったとき、彼女が超絶音痴だったり、体育大会の走る姿がめちゃくちゃ不細工だったり、彼女の発表課題がものすごく低クオリティだったり。そういった場面場面で、僕はなぜか自分が恥ずかしくなることがある。

「こんな彼女は見たくない、みんなに笑われる彼女は見たくない」そういった気持こそ、佐助が己の黒目に縫い針をプスプスと刺したあの感情なのかもしれない。

 

盲目になった佐助は、完璧であった春琴と永遠に暮らすことが可能になった。誰が笑おうが、彼にとって春琴は永遠に完璧な存在のままである。彼をたんなるドMの変態野郎と思っては大間違いである。彼は、己の目を潰すことによって、高尚な愛を手に入れたのである。彼が常々、春琴の高圧的な態度に快楽を覚えたのも、愛する相手が完璧であることに対する快楽と考えればわかりやすい。

幸か不幸か、僕はいまだに自分の目を潰してまで手に入れたいほどの愛は覚えていない。そして、僕の恋心は、わかりたいという気持ちよりも、未だ、わかって欲しいという気持ちが強いことが多い。そして往々にしてフラれるわけだけど。でも、よくよく考えるとこうやってフラれていったほうが幸せなのかもしれない。あの娘にこっちに降りてこられたら、僕の恋心はきっと跡形もなく消えていっただろうから。

つらつら書いても、なんか上手く言えない感情なのだけど、6年くらい前に読んだ時よりもずっとこの小説が好きになった。

佐助は現実に眼を閉じ永劫不変の観念境へ飛躍したのである彼の視野には過去の記憶の世界だけがあるもし春琴が災禍のために性格を変えてしまったとしたらそう云う人間はもう春琴ではない彼は何処までも過去の驕慢な春琴を考える(中略)佐助は現実の春琴を以って観念の春琴を喚び起す媒介としたのであるから対等の関係になることを避けて主従の礼儀を守った(略)

この小説は意図的に句読点を省いているけれど、読みづらいとはあまり感じない。けど抜粋しづらいなぁ。