nearproの日記

特に意味はありません。主に読んだ本をただただ記録します。

フランス文学と愛

人生において影響を受けた人物を挙げよ、と言われたら誰を挙げるだろう。家族、友人知人、教師…ひたすらに挙げるだけでキリがないほどの人物がそうだと答えざるを得ない。しかし、「皆が知っている」という条件をつければ、僕は迷いなく次の二人を挙げる。一人は晋の文公。もう一人はアンドレ・ジッドである。

著者はフランス文学、さらに言えばフランス社会そのものを突き動かしてきたのは「アムール」である、という。17世紀を頂点として完成された絶対王政からブルジョアジーの台頭、王政復古、そして現代に続く歴史の中、その時代時代に模索された愛を、著名な文学作品を参照しながら論じようと試みる本書。割合で言うと、スタンダールバルザックモーパッサンフローベールといった19世紀の文豪に関する話が多い。それくらい、フランス革命とその後の政変が与えた影響というものが凄まじいものだったのだろう。

宮廷愛・寝取られ男(コキュ)・ラマン・年上女の青年食い(その逆もまた)・親子愛・政略的(金銭的)結婚・逃避行・ひとときのアバンチュール・神への愛・略奪への倒錯的な愛……などなどコレでもかという程の沢山の愛が紹介される。こりゃまるで愛の伝道師養成書だと思ってしまうほど。

もちろんそれがフランス固有のものでは無いことを筆者自身も認めているようだが、ほんの100年200年の間にここまで様々な愛が提示されたというのが、まさにフランス文学フランス文学たらしめているのかもしれない。

以前コレットの解説鹿島茂が「恋愛とセックスの本質はイニシエーションにある」という興味深い言葉を残していた。儀礼が人や時代によって変化していくからこそ、恋愛の本質は常にそこにあると言える気がする。そして各々によって描かれた、愛はかくあるべし、が常に社会を変えているような気がした。

そもそも物語とは、主人公が身にふりかかる試練を一つ一つ突破していく姿を描くことによって成り立つものであるならば、近代社会において物語を不特定多数の大衆に提供する役割を担う小説が、安穏と暮らす人々の平和な満ち足りた姿ではなく、さまざまな心痛を抱え苦難に揺さぶられる者を好んで主要人物とするのは当然なのかもしれない。ただし、そこで想起しておく必要があるのは、十九世紀小説が過去の神話的、英雄的な物語と異なるリアリズムをおのが道とし、読書の日常によりなまなましく寄り添う物語のあり方を果敢に求めていったという事実である。すなわち小説は「平凡」なものを「真剣」に描き出す場となった。

ちなみに冒頭で挙げたアンドレ・ジッドについては特に触れられることはなかった。自己愛や倒錯的な愛、同性愛なんかに関してはジッドはなかなか参照するに値すると思ったのだけど。そこだけ少し残念。