nearproの日記

特に意味はありません。主に読んだ本をただただ記録します。

ひらいて

ひらいて (新潮文庫)

ひらいて (新潮文庫)

『女子高生は神様を信じない』と、僕は常々思っていた。女子高生のもつ独特な無敵感は、「女子高生はすべてを否定する力を持っていたから」だ、そんなことを書いていた。女子高生は強烈な自己という存在を抱えながら、極めて刹那的に、実存主義的に生きている。女子高生には、過去も未来も現在も経験も親も社会も友達も何もかもを否定できる若さがある。

この「ひらいて」はまさにそんな女子高生の無敵感を感じる小説だった。

主人公は、自分のことが可愛いことを自覚し、女であることの意味と武器を理解し(あるいは、理解したつもりであり)、人生を上手に生きていくことに長けている女子高生。綿矢りさの書く女性っぽい女性。僕が綿矢りさが苦手なのは、大抵こんな女性が主人公だからである。

そんな女子高生が一つの恋によって、どんどん落ちていく。恋は実らない。男の子にはもうずっと付き合っている彼女がいる。奪えると思って言い寄るが簡単にあしらわれる。あろうことかその彼の彼女と百合百合する。友達も離れる。成績も下がる。大学進学も失敗する。

綿矢りさ(の描く女性が)苦手派の僕が、泣いて喜ぶメシウマ展開の連続なのだが、どこかしっくりこない。諸手を挙げて喜べない。

ある時点で、主人公の転落と、彼と彼の彼女の人間味のなさも相まってか、主人公への見方が変わっていることに気づく。僕はいつからか錯覚しているのだ。主人公は、こちら側の人間なのではないかと錯覚しているのだ。主人公は、不器用で潔癖であり、ルサンチマンを抱く側なのではないか、と錯覚しているのだ。

まったく感情移入できない女子高生に、いつの間にか、失ってしまったものを託している自分がいるのだから、困ったもんである。

しかし、世の中の童貞は騙されていはいけない。それは錯覚である。

今しかない。今しかこの恋の真の価値は分からない。人は忘れる生き物だと、だからこそ生きていられると知っていても、身体じゅうに刻みこみたい。一生に一度の恋をして、そして失った時点で自分の稼働を終わりにしてしまいたい。二度と、他の人を、同じように愛したくなんかない。

こういう主人公のような、コケティッシュな自覚派女子は、サロメが好きである傾向が強いので、綿矢りさは、やっぱり確信犯だと思う。

だから、綿矢りさは嫌いなんだ。